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長いこと歌っているとそれなりに思うこともある。先人の遺した偉大な文化的遺産を友と呼べる私たちは、なんと幸せなことかと。アマチュア合唱団の団員として一つの曲に関わる期間は、演奏会毎に3 ヶ月から4 ヶ月くらいであろうか。その間、譜面を通し時に数百年の時を超えて交わされるこれらの曲との語らいを、何度となく楽しむことができるのである。新しく出会った楽曲とは恐る恐る挨拶をし、観察しあい触れあうことでお互いの性格を知り、その背後にある大きな心に引き込まれていく。そして迎える演奏会。歌われる音符の一つ一つに別れを惜しみ、また会う日まで…とスポットライトの彼方に見送っていく。最後の音符がホールを一周して、振り返りざまに目配せをしながら消えていったときに残る心地良い疲労感は、なにものにも代え難い麻薬的な効果を有する。 大人の合唱を始めて間もなく、大学生の私は当時としてはまだ珍しかったバッハのロ短調ミサの全曲演奏に取り組む機会を得た。練習場の内外で私は何度もロ短調ミサと語り合った。夜と言わず、昼といわずいつも彼は私のそばにいた。みな無心で彼を愛そうと努力した。「夢枕にバッハが立てば本物」と、冗談ともつかず真顔で語った友を思い出す。大曲であればあるほど、別れの 哀愁もひとしおである。そんな演奏会の後の打ち上げは、さながらアポロ宇宙船月面着陸を祝うヒューストンのようであった。一年かけて迎えた本番を終え、涙を浮かべて肩をたたき合う私たちがいた。宴の終わりには決まって誰もが愛したその曲の極めつけの部分が歌われる。大好きだった彼に今生の別れを惜しむように。あれから20 年。この世界、相手の知名度が高ければ高いほど、何度も出会いの機会が訪れる。今生の別れを告げたはずの彼(ロ短調ミサ)は、7 度も私のところにやってきた。そのたびに彼も新しい装いをもって訪れ、またこちらも少しずつ年を重ね、別れていた間に経験した全てを彼に語りかけるのである。 本日演奏される楽曲の内「戴冠ミサ」もそういった曲のひとつに当たろう。Yahoo 検索によれば、モーツァルト×戴冠ミサで16,800 件のヒットを得る。歌い手である団員も、そして本日ここにお集まりの多くの聴衆の皆さんも、彼には何度かお会いになったことがあろう。来年はモーツァルト生誕250 年。私たちも来年早々また札幌で彼と会うことになっている。再会を果たした方々には、せいぜい想い出話に花を咲かせて頂きたい。対してラター×マニフィカトは、ラッター×マニフィカトを加えても325 件。もし今日、今生の別れを惜しむなら、断然マニフィカトである。短い時間ではあるが、彼の人となりをしっかり見届け、心に残して頂ければ幸いである。 人の出会いが一期一会であるなら、曲との出会いもまさに一期一会である。 かく言う私も、実は今日久方ぶりに出会って語り合ってきた戴冠ミサ氏と、改めて再会を確かめ合おうと思っている。彼は、ひねた物知り顔で35 年ぶりに彼の前に立った私をどう見るだろう。そして、マニフィカトとの出会いを誰よりも楽しみにしていた友は、何の予兆もなく逝ってしまった。突然今日と明日のつながりが絶たれた彼が何を想ったかなど、想像することすらできない。 私達にできることは、彼には訪れなかった今日という日の大切さを想い、そしてここに集った全ての人々の今日の日のために、全ての音符に敬意を込めて演奏に臨むことだけ。 ライブ音楽は、一期一会の極みである。 Bass A.T. |
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