第14回定期演奏会


ごあいさつ


サッポロビール株式会社 代表取締役社長 岩間 辰志

 皆様、本日はようこそお越しくださいました。

 ガーデンプレイスクワイヤは、5年前の今頃、弊社のメセナ支援の決定を受けて団員の新聞公募を行い、400人を越える応募の中から40人を選抜し発足致しました。以来現在に至るまで、ガーデンプレイス内の恵比寿麦酒記念館を本拠に20回近いの演奏会を重ね、アマチュア団体としては異例の積極的活動を展開してきたと聞きます。

 もちろん、5年間の活動は単に彼らのみによって継続されてきたものではありません。それは、彼らの活動を支え、共に音楽を楽しんで下さった聴衆の皆様あって5年間であったに違いありません。その活動を支援する者の立場から、5年の節目を迎える合唱団とともに、聴衆の皆様のご声援に感謝を申し上げます。またこの間、辛抱強くご指導を頂きました常任指揮者の中島良史先生にも、心から敬意を表したいと存じます。

 音楽の本場ドイツの著名なプロ合唱団の中にも、弁護士、医者など様々な職業人を集めて構成される団体が多いと聞きます。日本にプロフェッショナルな合唱団が少ない以上、良質で親しみやすいこの団体の活動は、いよいよその価値を増して参ります。支援者としてだけではなく、聴衆の一人としても、皆様と共にガーデンプレイスクワイヤの今後の発展を期待し、見守って参りたいと存じます。皆様方の益々のご愛顧を心よりお願い申し上げます。

 本日は、お越し頂きまして誠にありがとうございました。どうぞ、ごゆっくりお楽しみ下さい。

プログラムノート


熊谷 聡(アマデウス音楽研究所)

 21世紀も4カ月が過ぎようとしています。千年に一度の節目の喧噪の中で、様々な未来への希望と憂いが語られ、過去への総括が語られました。それさえもこの4カ月で、かなり昔の出来事のように感じるのには、いかに世の中が目まぐるしく動いているかを思い知らされます。
 今日のプログラムは、この千年の間に我々に計り知れない至福を与えてくれた、数多の音楽への感謝の祈りであり、またそれらへの訣別でもあるのでしょうか。今日、穏やかな春の光と風の中で、過去に我々がどれほど音楽によって慰められてきたかに思い馳せ、ともに感謝の祈りを捧げようではありませんか。

 音楽の歴史そのものは、エジプトやメソポタミアの文明に始まります。その歴史の中で常に“歌”は重要でした。それは、音楽が決して音の組み合わせの技術として歩んできたのではないからです。祈りや願い、様々な想い、それら人間の日々のいとなみの中で音楽が育まれてきたのです。今日のプログラムは16世紀から20世紀までの合唱作品で構成されていますが、そこにある言葉には、それぞれの時代のそれぞれの人々の祈りや想いが込められています。
 言葉と、音と、作曲者の想いと、それらがほとんど神の摂理のように結びつくとき、音楽は時間と空間をこえた福音となります。今、この時、降り注ぐ響きの中に身を委ね、我々が想うのは過去への懐旧でしょうか、未来への憧憬でしょうか・・。

■ルネサンスから20世紀へ〜3人のシャンソン
 「シャンソン」というと、普通はフランスの歌謡曲といったほどに理解されているようです。ジャヌカンとジョスカン・デ・プレのシャンソンも、およそ16世紀の歌謡曲といってよいでしょう。教会を中心として発展した声楽曲とは違い、そこには普通の人々の、普通の生活の中にある様々な想いが自由に生き生きと歌われています。愛する人を失った悲しみ、あるいは春の訪れの喜び、それらが4声部の巧みな旋律の組み合わせで表現されています。2つの曲とも短いものですが、この時代のシャンソンの代表的な名曲です。
 そして、ドビュッシーのシャンソンですが、これも、歌詞については15世紀の宮廷詩人のものです。ドビュッシーについては、どうしてもピアノ曲や管弦楽曲のイメージがあります。しかし、実際は多くの歌曲を書いていて全作品の中でも重要な分野なのです。ドビュッシーの音楽は“印象主義”という言葉で語られます。1つの新しいカテゴリーを必要とするほど、その音楽は斬新でした。印象主義の音楽は多くの場合表題を持ち、描写的です。その点ではロマン派の音楽と共通する点もありますが、印象主義では決して直接的な表現はしません。ロマン派が“感情”を描いたとすれば、印象主義が描いたのは“感覚”なのです。暗示的に、雰囲気として音楽が描かれます。ロマン派が花の美しさを描いたとすれば、印象主義はその花の香りさえ描き得るのです。唯一の無伴奏混声合唱曲である「3つのシャンソン」は、そのような印象主義の手法が織り込まれた、20世紀の始まりを告げる時期の作品です。

■「パリのエスプリ」〜プーランクのミサ
 プーランクは生粋のパリジャンでした。そのエスプリに満ちた音楽は、20世紀のパリという街でこそ生まれ得たのでしょう。プーランクの音楽を『映画音楽のようだ』と言った友人がいました。これは言い得て妙です。つまり、プーランクの音楽は“場面”で構成されているのです。その場面の気分によって、音楽は表情を変えます。場面をつなぐのが大胆にして絶妙の転調であり、和音の選択やリズム・強弱の変化も時としてスキャンダラスでさえあります。
 それら“場面”を提供したのが、パリの街そのものであったのです。アポリネールやエリュアールなど、プーランクの歌曲の詩人の他、コクトー、ジイドなどの文学者、ピカソやブラックらの画家との芸術を通じた親交が、プーランクの音楽をエスプリに満ちたものにしたとも言えます。

 そして、プーランクを語るとき忘れてはならないのが、1936年の“宗教的体験”です。この年、親しかった友人を自動車事故で失った彼は、フランス中部の聖地「ロカマドゥール」を訪れ、深く祈り帰依するのです。この時書かれた「黒衣の聖母への連祷」は、その後の一連の敬虔な精神性を湛えた宗教作品の原点となった名曲です。ト短調のミサはその翌年に作曲されました。伝統的なカトリックのミサ曲の書法を用いて(通常含まれる、第3章“クレード”を欠いていますが)無伴奏の混声合唱で歌われます。
 “エスプリ”とは、機知とか才知と訳されます。しかし、本来は“精神”という意も含まれているのです。このト短調のミサは、まさしく機知にあふれていながら、深い精神性と祈りが結びついている点で、20世紀フランスにおける宗教曲を代表する一曲でしょう。

■レクイエム K.626 (W.A.モーツァルト)
 レクイエム=死者のためのミサ曲、モーツァルトの最後の曲です。モーツァルトの死と、この曲に関しては曖昧な点が多いのです。映画『アマデウス』は、モーツァルトの死とレクイエムの成立について、ライバルのサリエリを絡めた内容でしたが、この映画の前提となっているのは、その曖昧さなのです。いわゆる“モーツァルト・ミステリー”です。そして、我々モーツァルトの音楽を愛する者にとって重要なのは、レクイエムに関する音楽上の曖昧さです。つまり、この曲が完成されずに終わっていること、そして、モーツァルト以外によって完成させられたということ。
 まず、レクイエムの成立に関して一般にいわれていることに簡単にふれておきましょう。作曲者の最後の年の6月(あるいは7月)、灰色の服の男(『アマデウス』ではサリエリという設定)が依頼者の名を伏せて、レクイエムの作曲をモーツァルトに依頼しました。モーツァルトは前金を受け取り作曲に着手しますが、“魔笛”の作曲などの関係で筆は進まず、レクイエムは完成しませんでした。その後、モーツァルトの妻はこの曲の補筆をモーツァルトの弟子に託し、完成後に注文主にわたされたのです。
 そのような経緯から、モーツァルトの手によるのは“ラクリモーサ”の8小節目までで、それ以降はオーケストレーションや、曲の全部が弟子の作曲なのです。
 しかし、この曲はグレゴリオ聖歌以来、数多く書かれたレクイエムの中でも最もよく知られ、演奏され、聴き親しまれている曲でもあるのです。その事実の前にあっては、実のところ、諸々の曖昧さなど音楽学的な興味以外のどんな意義を持つのか‥と思うこともあります。ラクリモーサの、あの美しさは歴然と我々の前にあるのですから。曖昧さはそれとして、この曲に我々の考えの及ばぬ摂理が作用しているものと、私はやはり信じるのです。