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プログラムノート


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プログラムノート

北欧音楽への深い知識と経験をお持ちの合唱指揮者、松原千振様と、ノルウェーで音楽教育と音楽療法の現場を長く体験していらした井上勢津様より、当演奏会プログラムにコラム・解説をご寄稿いただきました。

冬のノルウェー

秋が深まり、夏時間が終わるとノルウェーでは長く厳しい冬が始まります。白夜の下でのフィヨルドツアーや人気のベリー摘みなど夏のノルウェーも素敵ですが、やはり北国の暮らしを満喫できる季節は何と言っても冬。間接照明が施された部屋で蝋燭を灯し、家族や仲間たちと語らう時間はかけがえのないものです。

そして街の女性たちがダークなロングコートにカラフルな帽子と手袋でお洒落を始めると、1年で最も楽しいクリスマスの準備が始まります。合唱団も吹奏楽団も子どもたちのバンドも学校の授業もクリスマス一色。この時期、多くの合唱団では教会でのクリスマスコンサートに向け、本格的な練習が始まります。もちろん私の専門である音楽療法も例外ではありません。

クリスティーネは重い知的障害をもつ女の子。クリスマスソング「ひとりの嬰児がベツレヘムに生まれた」が大好きです。しかし彼女が歌うことのできるのは、最後に2回繰り返される「ハレルヤ」の「ルヤ」だけ。私は7番まであるこの歌を毎週、クリスティーネとうたいました。「ルヤ」の部分がくるまでの期待感に満ちた彼女の表情と「ルヤ」をうたう時の満足そうな笑顔を今でも忘れることができません。

ノルウェーの冬には人と音楽との結びつきを深くしてくれる静けさと温かさがあります。

(井上 勢津)


舟旅(Venematka) フィンランド合唱の誕生

 1865年に生まれ、1957年にこの世を去ったシベリウスは、第1次大戦、祖国の独立、そして第2次大戦という厳しい時代に生きた人だった。その影響は合唱音楽にも色濃く残っている。

 カレワラという叙事詩をテキストとした「舟旅」は、短い曲ではあるが、その時代を考えるとかなり変わった曲だった。ロマン派の流れが残っていた1800年代後半、シベリウスはベルリン、ウィーンに留学する。特にウィーンでは、ブルックナー、ブラームス、ベートーヴェン等の音楽に接し、ブルックナーの第3交響曲に心を惹かれるが、作曲教師としては会えず、ブラームスは教えることを拒み、適切な師に巡り会うことはなかった。

 そんな矢先、彼はカレワラに強い輝きを見、「カレワラは音楽そのものだ。主題があり変奏がある。」と考え、大作「クレルヴォ」の作曲に取り組み、ヘルシンキでの圧倒的な成功を実現させたのだった。「舟旅」は1893年に初演された。時代は民族の自由と独立が叫ばれ、大国の支配から脱却を目指していた。シベリウスはカレワラにより、フィンランドに目覚めた、と言える。

その後、彼の合唱への意欲は祖国の詩人に向かってゆき、実に多くの合唱音楽を著していった。その詩人の数、27人!多様な合唱曲は、単に芸術的な目的ではなく、愛国の歌、軍隊への歌、労働組合の歌、特定の地域のための歌等、多岐にわたる。それらはいずれも小品である。そんな作曲に対し、娘がある時質問した。「お父さんは何故小さな曲を書くの。」

シベリウスは、「生活のためだ。でもお父さんは全ての曲に自分の心の血を注いでいるよ。」と答えている。そんな彼の合唱曲はいまだその全容が解明されていない。

しかし、その豊かな音楽の数々は、その後の国民楽派の作曲家に引き継がれ、現代に至るまで、力強くフィンランド合唱を創り上げている。「舟旅」の一風変わった曲の始まり、勇壮な男声合唱は、フィンランド合唱を転換させたのだった。

(松原 千振)


4つの詩篇

「4つの詩篇op.74」はグリーグ最期の作品で、1906年夏に着手し、12月に完成しました。グリーグは、作曲家兼民謡収集家であったリンデマンがノルウェー各地の民謡を採集し編纂した《新旧ノルウェーの山の旋律》の中から4つの旋律を選び、この作品を書きました。これらの旋律に心を動かされたグリーグは日記に「これらの旋律はとても美しく、そのため芸術的な衣装の中でそのまま用いられるに値します」と書き残しています。この言葉通り、オリジナルの素朴な旋律が心にしみる作品となっています。

グリーグでは数少ない宗教的な内容をもった作品ですが、そこに浮かび上がってくるのは信仰心といったものではなく、ノルウェーの自然を愛し、そこに生きる人々、そして人々が歌い継ぐ民謡を愛したグリーグの姿です。自分の作曲家としての使命を「ノルウェーの風景、暮らし、民話や方言詩を音楽で表現すること」と理解していたグリーグの最期にふさわしい作品と言えるでしょう。

(井上 勢津)