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中川 美季子
年末になると毎年あちこちで演奏される第九をGPCがやる、というのは団員にとってもいつも聴きにきてくださるお客様にとっても、意外ではないでしょうか。恵比寿の麦酒記念館の吹きぬけを利用した残響を活かして、ア・カペラか、小人数のアンサンブルと共に、宗教曲を歌うことの多かったGPCが、大規模なオーケストラと、100人以上の合唱が必要な第九を、どう料理するのか。
その答えを皆様はもうすぐ耳にすることになります。指揮者中島良史渾身の編成のオーケストラ、50人足らずの合唱で、今までに前例のない第九をお聴かせいたします。
従来の第九のような、この音の厚みと幅と響きがあれば、有無を言わせず感動を導き出すぞ、という大きな仕掛け一切なし、真っ向勝負の第九です。
ベートーヴェンの時代から現在まで、シラーの詩に託したベートーヴェンの希望である世界の平和と調和はついにかなうことがありませんでした。平和を願います、と口で言うのは簡単ですが、行動に移すとなると、時にはそれは、自分の命を差し出さなければならないほど厳しい言葉です。そんな世界で第九を歌う、というのは、第九を聴く、というのは、どういう意味があるのでしょう。
人類は悲しい間違いを歴史上たくさん繰り返してきています。どんなに頑張っても、一人一人の力は小さいものだし、世界のいろいろな問題は複雑過ぎてとても解決の方法なんて見つからない、と思えば、この世界も、生きているのも少しいやになってしまうこともあるかもしれません。
でも、第九です。われわれ人類はこんな荘厳で優美な贈り物をベートーヴェンから授かっているのです。この人類の至高の宝とでも言うべき名曲に首までどっぷりと浸かっていると、いやいや、まだ人生も世界も信じるに足るものだ、という気がしてきませんか。
今日いらしてくださったお客様が一人でも、そんな気持ちになっていただければ、こんなに幸せなことはありません。どうぞ、他では聴けないGPCならではの第九をたっぷりとお楽しみください。
高内 章
クリスマスというのは、いつも子供の頃の楽しく暖かい思い出を連れてやってくる。
サンタクロース、プレゼント、クリスマスケーキ・・・日本人が当たり前に歳時記の中に取り入れているクリスマス。こうも堂々と日本の慣習に入り込んでいる年中行事でありながら、クリスマスは祭日でもなければ休日でもない奇妙な扱いを受けている。インターネットサイトに顕れるクリスマスをざっと見渡すと。圧倒的な人気の「サンタクロース」「パーティ」に続き、「街のデコレーション案内」「プレゼント情報」とどこの国に持っていっても恥ずかしくない舞台装置が準備されている。
しかし、私にこの貴重な紙面を音楽と無縁の議論で占領しようと思い立たせたのは、方々で堂々と点滅する「まだ間に合うホテル予約」情報であった。
「若い二人は。いったい何をよりどころにロマンチックな一夜を過ごすのだろう?」
大きなお世話と言われればそれまでだが、ややもするとクリスマスの主役の純潔を汚す妙な動機の輩が、バカラのシャンデリアの威力を最大限に利用しつつこの日を過ごそうとしているのだとすれば、いやいや、もしかすると、今日のこの演奏会も単にそういった目的に使われるのだとすれば、それはもう看過できない。クリスマスっていったい何なんだ? そう考えると、どうも気軽に「メリー・クリスマス!」とは言えない。
そもそもイエスという人物の誕生日を、なぜかくも盛大に祝うことになったのか。そのきっかけは何だったのか。皆さんをがっかりさせたくはないが、実は彼が12月25日に生まれたという記述はどこにもない。教会は、ヨーロッパ各地に土着する太陽の復活を祝う冬至の祭りをイエスの誕生日に採用した。イエスは常に復活であり、救いの象徴である。ヨーロッパの薄暗く長い冬を折り返し、太陽が復活を始める冬至は、希望にあふれる救い主の降誕を祝うに最もふさわしい心の準備を提供したからであろう。それにしても「救い主イエス」、この言葉はクリスマスの思い出の中に素直にとけ込み、優しい響きを感じさせる。ではこのイエスとは、どんな人物だったのか。お話は2000年前のユダヤにさかのぼる。
イエスの時代、ローマの支配下にありながら宗教的自治を許されていたパレスチナでは、宗教家というよりむしろ政治家としてローマに迎合し支配的特権を維持しようと腐心するサドカイ派と、民族主義的傾向が強くローマの治世に反発し、独立を勝ち取る政治的メシアの来臨を待ち望む一方、頑迷な律法絶対主義を民衆に強要していたファリサイ派という二大勢力が均衡していた。大工ヨゼフの長男としてベツレヘムに生まれ、ごく普通の幼少年時期を過ごしたイエスが、このユダヤ教社会にあって突然宗教的指導者として頭角を顕わしたのは、30才を過ぎた頃であった。この国の神との不健全な関係を憂えた彼は、洗礼者ヨハネのもとで宗教者として生きる誓いをたてた。その後しばらくイエスは、密教的な修行などを通して自己と戦いながら悩みぬき、ある一つの信念に至ったようだ。
イエスの説いたユダヤ教は、やみくもに神を畏れさせる従来勢力の教えとは根本的に異なっていた。彼は言った。「野の花を、空の鳥を見てごらんなさい。彼らは紡ぐことも耕すこともしないのに、神様は彼らを見守り、しっかりと生かしているではないか。神様が一番大切に思うあなた達が、いったい何を思い煩う必要があろう。」そして、彼は神を「父」と呼ぶのだった。人を人として愛するイエスは、それまでどの宗派からも不浄として忌み嫌われていた売春婦、らい病患者、収税人、異教徒などとも分け隔てなく接し、律法よりも大切なものがあることを教えていった。公生活と呼ばれる彼の宗教的指導者としての活動は3年に満たない。その短い期間、純粋に、そして凛として隣人を愛すことの重要性を伝え歩いた彼は、たちまち人々の心を引きつけ、彼の周りのグループはある大きな勢力となっていった。
人の世は常に誤解と打算に満ちている。人々の間にイエスが救世主(=政治的指導者)であるという期待が生まれ、ローマとの衝突を嫌ったサドカイ派は、律法を軽視する者が救世主と呼ばれることに激怒するファイサイ派を扇動し、イエスを死の淵に追いやっていく。散々な辱めの後、 十字架につけられた彼は、朦朧とする意識の中でさえ、驚くべき事を口にしている。
「父よ、どうか彼らをお赦しください。
彼らは自分で何をしているのか気付いていないのです」
神に対する絶対的信頼に裏打ちされた人を愛する心。彼の教えのまさに中心にあったのは和解であり、愛による赦しであった。
時は流れて、1549年。ご存じフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸、やっと日本にもクリスマスがやってきた。ただ、長い鎖国政策により多くの日本人にクリスマスが認知されるのは、キリシタン禁制の明けた明治以降となる。維新後雪崩のように押し寄せた西洋文化の精神的基盤は言うまでも無くキリスト教文化であった。多くの日本人が教会などの主催する集会に招待され、布教を兼ねた慈善が行われた結果、クリスマスは、豊かでロマンチックな西洋文化の象徴となっていった。一方、欧州の民話に端を発するサンタクロースも明治の終わり頃には日本にやってきた。大正に入ると、彼はアメリカの商業主義とともにクリスマスの中心的キャラクターにのし上がっていく。子供達はここでも宗教の堅苦しい儀式を免れ、ロマンチックなクリスマスのイメージを膨らませる。
もう一つの大事なクリスマス輸入ルートは文学である。明治35年には、既に名作「クリスマス・キャロル」が邦訳されており、多くの文学がクリスマスとともに持ち込まれてくる。映画の時代になっても、古くは「鉄道員」「愛情物語」から「34丁目の奇跡」まで、クリスマスは、陰に陽に美化された理想的な家族愛、隣人愛の象徴として伝え続けられ、殺伐とした都会の人間関係の中で、楽しく暖かい優しさを感じられる舞台装置として定着する。子供の頃のあのクリスマスのように・・・
クリスマスは、イルミネーションとロマンチック(夢想的)な物語とともにやってくる。そこにはイエスの顔は見えない。しかし、彼が命をかけて伝えようとした人を思いやる大切な精神は見えないか?
そう、イエスが説いたあの「愛の絆」である。シラーの言う「世界の同胞」を意識する以前に、隣人にですら純粋な愛を伝えられないもどかしさ、愛しきれない自分自身の弱さを知っているからこそ、夢想的、理想的な愛の絆への憧れが、より強く意識されるのかもしれない。
クリスマスは恋人たちの専売特許ではありえない。そんなのはあの真っ白なイチゴデコレーションケーキと同じくらい日本だけの決まり事である。仲直りしたい、守ってあげたいあの人と、そして何より大切なあなたのご家族と『あなたにとって最も大切にしなければならない人との絆を確かめる』そんな日になれば素晴らしい。私たちが一人きりで生きているのではないと感じた時、きっとあの方は傍らで私たちを見守り、私たちが想いを伝え合うのを手伝って下さっているに違いない。
依然耳に入るのは暗い世相をだめ押しするものばかりのこの年末だが、本日の演奏会後半、私たちは精一杯のメッセージを、救い主イエスの降誕をよろこぶ歌に乗せてお届けしたい。
どうか主の平安が皆さんと共にありますように。
今度こそ、心をこめてメリー・クリスマス!
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