第18回定期演奏会


ドイツロマン派の合唱音楽


山口 真人

 ドイツロマン派の合唱音楽を考察するにあたっては、まず、ファッシュ(1736~1800)という作曲家に触れておかなければならない。彼は、1791年、ベルリンに「ジングアカデミー」を設立し、ドイツにおける合唱作品の再興と演奏に新たな領域をもたらし、バッハ(1685~1750)の作品の復活も手がけた。そして、それを受け継いだのが、同じドイツの作曲家ツェルター(1758~1832)である。彼は、ファッシュ亡き後の「ジングアカデミー」を主宰し、1809年には男声合唱団の先駆けとなる「リーダーターフェル」を組織し、バッハの「マタイ受難曲」復活上演にも尽力した。そして、その流れが、メンデルスゾーン(1809~1847)へと受け継がれていくのである。
 シューベルト(1797~1828)の合唱曲(多声歌曲)における創作活動は、彼が15歳の頃に既に始まっており、31歳で没するまでの16年間に多様な形態の曲が生み出され、およそ130曲が今日に伝えられている。青年時代、彼は、作曲をサリエリ(1750~1825)に師事していた関係で、音楽仲間と自分たちの作曲した男声四重唱曲を定期的に演奏していた。そして、作曲家として成長するにつれ、その仲間たちの指導的役割を担い、「シューベルティアーデ」と呼ばれる音楽と社交の夕べが、しばしば開かれるようになった。このように、シューベルトの合唱作品の大半は機会作品となっている。
 メンデルスゾーンは、合唱に造詣の深いツェルターに作曲を師事していたため、優れた合唱作品を数多く残している。特に、混声合唱曲集である「6つの歌op.41」「6つの歌op.48」「6つの歌op.59」「6つの歌op.88」「4つの歌op.100」の計28曲については、戸外で歌われることを想定してすべて無伴奏で書かれている。流麗なメロディー、変化に富むハーモニー、活気に満ちたリズムなど、まさに愛唱歌としてうってつけである。
 シューマン(1810~1856)も、どちらかというと歌曲の作曲家というイメージが先行するが、ドレスデンで男声合唱団「リーダーターフェル」の指揮者として活躍し、1848年には、自ら混声合唱団を設立している。混声合唱曲では「ロマンスとバラード第1集~第4集」が非常に優れており、女声合唱曲では「ロマンス第1集・第2集」、男声合唱曲では「6つの歌op.33」などを残している。

・森への別れ
 「6つの歌op.59」の3番目の曲で、邦題で「緑の森よ」としても親しまれている。アイヒェンドルフの詩により、1843年に作曲された。

・小さな村 D641
 この曲は、18世紀の詩人ビュルガーの、故郷の小村を称える詩による男声四重唱曲で、1817年に作曲、4年後にウィーンの劇場で初演された。

・ナイチンゲール D724
 ウンガーの詩により、1821年頃作曲された男声四重唱曲。ギター伴奏により演奏されることもあるが、これは、シューベルトの手によるものではないとされている。

・ローズマリーの花、陽気な狩人、水の精
 いずれも、「ロマンス第2集op.91」に収められている曲で、1849年に作曲された。
1曲目は古いドイツの民謡詩による素朴な歌であり、2曲目はアルニムとブレンターノによる「子供の魔法の角笛」に収められている詩によっている。3曲目は、ケルナーの詩による「水の精」を歌ったバラードである

・五月の歌、森で、湖で
 いずれも、「6つの歌op.41」に収められている曲で、メンデルスゾーンが最も活躍したライプツィヒ時代に作曲され、1838年に出版された。
1曲目はヘルティの詩、2曲目はプラーテンの詩、3曲目はゲーテの詩によっている。

日本のうた


成田 拓也

 日本の音楽とは何か、一言で表すことは非常に困難である。いわゆる明治維新の文明開化以後大量の西洋音楽が流入し、日本の音楽界の主流はそれらに乗っ取られたかのように見えるが、しかしそれまでの伝統的な音楽もそれぞれ独自の世界を確立しながら脈々と生き続けており、また、唱歌・童謡など西洋音楽の模倣から始まった「うた」も、西洋音楽の枠組みの中で少しずつ日本独自のスタイルを編み出し発展させてきた。今回私達が取り上げる二人の作曲家、武満徹と間宮芳生は、ある意味全く違った方向から、「日本の音楽」というものを形として示した作曲家、と言えるだろう。

 武満徹(1930 – 1996)は、世界でも最も名前の知られた日本の作曲家の一人、と言って間違いないだろう。西洋のクラシック音楽と日本の伝統音楽を融合させた「ノヴェンバー・ステップス」が代表作だが、進駐軍の流すラジオ音楽を聞いて作曲家を目指したという彼の作品はクラシック音楽の枠にとどまらない。大規模なオーケストラ作品からテレビや映画の音楽に広がる彼の多様な作品には、西洋のクラシックや日本の伝統音楽、そしてジャズにいたるまで、実に幅広いジャンルの音楽の要素を取り入れられている。武満徹とは、あらゆる世界や分野の音楽を、日本人である彼の中に取り込んできた作曲家、と言えるかもしれない。その彼の作品の中で、合唱曲は非常に少ない。混声合唱のための「風の馬」、「うた」、男声合唱のための「芝生」「手づくり諺」、その他オーケストラ作品に合唱が付いているものがいくつか、といった程度なのだが、どれも日本の合唱音楽を語る上で欠かすことのできない、重要なレパートリーとなっている。
 混声合唱のための「うた」は、東京混声合唱団のアンコールピースとして自身の曲をアレンジした全12曲(1曲は晋友会合唱団のために作曲)の曲集で、ジャズの雰囲気が満載のとても魅力的な曲が揃っている。この中から本日は、「小さな空」「島へ」「恋のかくれんぼ」「さようなら」「翼」の5曲をお送りする。ちょっぴりメランコリックでノスタルジックな世界に一刻、浸っていただければ幸いである。

 一方、間宮芳生(1929b.)は、日本各地の民謡に惹きこまれ、そこから作品を生み出していた作曲家である。本人曰く「日本各地の囃し言葉を集め、分類の論文を書こうと思っていたら曲になってしまった」という代表作「合唱のためのコンポジション第1番」をはじめとする一連の「合唱のためのコンポジション」シリーズでは、日本の音楽を土台としながら合唱音楽のあらゆる可能性を追求してきているものとして、国内はもとより海外でも非常に注目されている(現在第14番まで作曲)。
 「日本民謡による 合唱のための12のインヴェンション」では、北は青森から南は鹿児島までの幅広い地域の、子守り唄、労作唄、神楽の唄など多種多様の民謡を、それぞれ実に味わい深い合唱曲として作り上げている。今回歌う5曲についての簡単な解説は次の通りである。

「知覧節」
鹿児島県知覧町に伝わる、若い農村の男女の愛を素朴にうたった抒情ゆたかな民謡。「ホッソイ・ホッソイ」という特徴ある掛け声は、馬子が馬を引きながら口ずさんだものらしい。

「米搗まだら」
長崎県諌早市付近の労作唄。実にナンセンスな歌詞が、杵で米を搗く非常に軽快なリズムに乗って歌われる。

「天満の市は」
大阪市近辺に伝わる有名な子守唄だが、人・地域などによって様々なメロディーや歌詞で歌い継がれている。なお天満の市、というのは、旧淀川の天神橋と天満橋間にあった青物卸市場で、最盛期の江戸中期には「浪華第一の大市場」と言われていた。

「おぼこ祝い唄」
青森県八戸市尻内に伝わる民謡。おぼことは赤ん坊のことで、出産祝いのお七夜に歌われた。めでたい言葉の数々によって、家の繁栄が願われている。

「のよさ」
長野県栄村小赤沢に伝わる盆踊り唄。農民の悲哀を歌った、しかし勢いのある楽しい唄である。