第13回定期演奏会


プログラムノート


Bass 高内 章

 クリスマスというのは、いつも子供の頃の楽しく暖かい思い出を連れてやってくる。

 サンタクロース、プレゼント、クリスマスケーキ・・・日本人が当たり前に歳時記の中に取り入れているクリスマス。こうも堂々と日本の慣習に入り込んでいる年中行事でありながら、クリスマスは祭日でもなければ休日でももちろんない奇妙な扱いを受けている。しかるにカトリック教会の大聖年への取り組みに代表される、キリスト降臨2000年を祝う教会の熱狂とは全く呼応せず、今年もまたデパートといわずパチンコ屋といわず、鈴の音の喧騒とともに町中にクリスマスはやってくる。
 今日、私たちは敢えて伝統的なヨーロッパのクリスマス祝歌を多く集め、キリストの誕生を祝う人々の心に近づいてみようと試みた。もし、あなたがあのけたたましいジングルベルの連発を期待されている方でないとすれば、ご安心あれ。あなたはここでは多数派に属している。

 実は、この文章を書くにあたり、インターネットサイトに顕れるクリスマスをざっと見聞した。答えは期待通り、圧倒的な人気の「サンタクロース」「パーティー」に続き、「街のイルミネーションスポット案内」「ショッピング情報」とどこの国に持っていっても恥ずかしくない舞台装置が準備されている。おせっかいなサイトは「世界のクリスマス」を紹介しつつ、こんな日本の装飾をキリスト教国のそれと比較してくれる念の入れようである。しかし、私にこの貴重な紙面を一見音楽と無縁の議論で占領しようと思い立たせたのは、方々で堂々とサンタと並んで点滅する「まだ間に合うホテル予約」情報であった。

「若い二人は、いったい何をよりどころにロマンチックな一夜を過ごすのだろう?」

大きなお世話と言われればそれまでだが、ややもするとクリスマスの主役の純潔を汚す妙な動機の輩が、バカラのシャンデリアの威力を最大限に利用しつつこの日を過ごそうとしているのだとすれば、いやいや、もしかすると、今日のこの演奏会も単にそういった目的に使われるのだとすれば、それはもう看過できない。クリスマスっていったい何なんだ?
 そう考えると、どうも気軽に「メリー・クリスマス!」とは言えない。

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 そもそもイエスという人物の誕生日を、なぜかくも盛大に祝う事になったのか。そのきっかけは何だったのか。皆さんをがっかりさせたくはないが、実は彼が12月25日に生まれたという記述はどこにもない。教会は、ヨーロッパ各地に土着する太陽の復活を祝う冬至の祭りをイエスの誕生日に採用した。イエスは常に復活であり、救いの象徴である。ヨーロッパの薄暗く長い冬を折り返し、太陽が復活を始める冬至は、希望にあふれる救い主の降臨を祝うに最もふさわしい心の準備を提供したからであろう。それにしても「救い主イエス」、この言葉はクリスマスの思い出の中に素直にとけ込み、優しい響きを感じさせる。では、このイエスとは、どんな人物だったのか。お話は2000年前のユダヤにさかのぼる。

 当時ローマの支配下に置かれていたパレスチナではあったが、宗教的自治は守られており、ユダヤ教は、サドカイ派といわれる司祭階級の集団と、ファイサイ派と呼ばれ、大衆を律法絶対主義的な方向に誘導しようとするグループに分かれこの地を支配していた。特にファリサイ派は、民族主義的傾向が強くローマの治世に対して反発を隠さず、独立を勝ち取る政治的メシアの来臨を待ち望んでいただけでなく、いわば箸の上げ下げにまで頑迷に律法(規則)を強要し、およそ宗教の目的を見失った指導を行っていた。一方のサドカイ派は、ローマとの争いを嫌い、宗教家というよりむしろ政治家として支配的階級を維持しようと腐心していた。大工ヨゼフの長男としてベトレヘムに生まれ、ごく普通の幼少年時期を過ごしたイエスが、突然宗教的指導者として頭角を顕わしたのは、30才を過ぎた頃であった。サドカイ、ファリサイ両派による支配で神を見失ったユダヤを憂えた彼は、洗礼者ヨハネのもとで宗教者として生きる誓いをたてた。一説によれば、イエスは、この日から、民衆と距離を置き厳格な密教的修行を志向するエッセネ派というもう一つのユダヤ教一派に身を置き、本格的な宗教的修行を積んだという話もある。いずれにしてもイエスは、自己と戦いながら悩みぬき、ここにも答えの無いことを知り、一人旅に出ることとなる。

 イエスの説いたユダヤ教は、やみくもに神を畏れさせる従来勢力の教えとは根本的に異なっていた。彼は、言った。
「野の花を、空の鳥を見てごらんなさい。彼らは紡ぐことも耕すこともしないのに、神様は彼らを見守り、しっかりと生かしているではないか。神様が一番大切に思うあなた達が、いったい何を思い煩う必要があろう。神を信頼して生きなさい。」そして、彼は神を「父」と呼ぶのだった。
 人を人として愛するイエスは、それまでどの宗派からも不浄として忌み嫌われていた人々と積極的に関わっていった。売春婦、らい病患者、収税人。異教徒・・・。神の名のもとどんな人にも分け隔てなく接し、律法よりも大切なものがあることを隠すことなく教えていった。公生活と呼ばれる彼の宗教的指導者としての活動期間は、3年に満たない。その短い期間に、彼は身を呈して人と人とをつなぐ「愛」という絆の大切さを説き続けた。純粋に、そして凛として隣人を愛すことの重要性を伝え歩いた彼は、たちまちにして人々の心を引きつけ、ある大きな勢力となっていった。

 人の世は常に誤解と打算に満ちている。人々の間にイエスが救世主(=政治的指導者)であるという風評が流れはじめ、ローマとの衝突を嫌ったサドカイ派は、律法を軽視する者が救世主と呼ばれることに激怒するファリサイ派を扇動し、イエスを死の淵に追いやっていく。散々な辱めの後、十字架につけられた彼は、朦朧とする意識の中でさえ、驚くべき事を口にしている。

「父よ、どうか彼らをお赦しください。
彼らは自分で何をしているのか気付いていないのです」

神に対する絶対的信頼に裏打ちされた人を愛する心。彼の教えのまさに中心にあったのは和解であり、愛による赦しであった。

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 時は流れて、1549年。ご存知フランシスコ・ザビエルが鹿児島に漂着、この年の12月25日はまだこの地に滞在していた。ということは、日本で初めてクリスマスが祝われたのもこの年であると考えるのが、もっともらしい。ただ、長い鎖国政策により一般の日本人にクリスマスが認知されるのは、キリスト教禁制の明けた明治以降となる。雪崩のように押し寄せる西洋文化の精神的基板は言うまでも無くキリスト教文化であった。また、宗派を問わず列強の持ち込むキリスト教は、常に慈善の精神を伴い、また彼らは教育にも熱心であった。クリスマスには、多くの異教徒日本人が招待され、慈善が行われた。一般の人の目に触れるクリスマスは、ロマンチックな西洋文化の象徴でもあった。期せずしてパーティーに居合わせた子供たちの中には、ろうそくと無数の飾りに包まれたクリスマスツリーの余りの美しさに動けなくなるものもいた。サンタクロースが日本にやってきたのは、意外に早く明治の終わり頃であったようだ。大正に入ると、欧州人の間でさえ異教徒の偶像と囁かれるサンタクロースが、アメリカの商業主義とともにクリスマスの中心的キャラクターにのし上がっていく。子供達は、ここでも宗教の堅苦しい儀式を免れ、ロマンチックなクリスマスのイメージを膨らませる。

 もう一つの大事なクリスマス輸入ルートは、文学である。明治35年には、既に名作「クリスマス・キャロル」が邦訳されており、「青い鳥」「小公子」などキリスト教精神を伝える文学がクリスマスとともに次々と持ち込まれてくる。映画の時代になっても、古くは「鉄道員」「愛情物語」から、「34丁目の奇跡」まで、クリスマスは、陰に陽に美化された理想的な家族愛、隣人愛の象徴として伝えられ続ける。やがてクリスマスは、冬の厳しい寒さの中で、殺伐とした都会の人間関係の中で、無条件の優しさを感じられる時として定着する。

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 クリスマスは、イルミネーションとロマンチック(夢想的)な物語とともにやってくる。そこにはイエスの顔は見えない。しかし、彼が命をかけて伝えようとした、人を思いやる大切な精神は見えないか?そう、イエスが説いたあの「愛の掟」である。2000年を経て更に広がる普遍の願い、「愛」によって支配される世界に向けた人類共通の願いが日本人のクリスマス感の素地を作ったと、私は信じている。

 クリスマスは恋人たちの専売特許ではありえない。そんなのはあの真っ白なイチゴデコレーションケーキと同じくらい日本だけの決まり事である。仲直りしたいあの人と、でもやっぱり一時も離れられない彼と、そして何より大切なあなたのご家族と『あなたにとって最も大切にしなければならない人との絆を確かめる』そんな日になれば素晴らしい。あなたが一人きりでないことを感じた時、きっとあの方は傍らであなたを見守り、あなたの誠意を伝えるのを手伝って下さっているに違いない。
 なぜか耳に入るのは暗い世紀末の世相をだめ押しするものばかりのこの年末に、私たちは、精一杯のメッセージを救い主イエスの降臨を祝う歌に乗せてお届けしたい。

 どうか主の平安が皆さんと共にありますように。

今度こそ、心をこめてメリー・クリスマス!